2018_0512_140626 關大阪市長
大正12年から昭和10年にかけ12年間大阪市長を務めた關一(せきはじめ)氏の像です。
元々一橋大学の社会政策や都市計画の学者でしたが、学内の派閥争いのようなものに嫌気がさして大阪市の助役に転身したという異色の経歴の持ち主です。
その後市長に就任して手腕を発揮しました。今の大阪の都市インフラの基礎は關市長によって築かれたと言っても過言ではありません。
主な業績としては助役時代に手掛けた公営のバス事業を手始めに、地下鉄とセットでの目抜き通りの御堂筋の建設、大阪港の整備、大阪卸売市場や今の大阪市立大学、大阪市民病院の開設、大阪城公園の整備と大阪城天守閣の再建、市民住宅の建設など。現在の大阪の地下鉄の路線網も完成は1960〜70年代ですが、關市長の時代に計画されたものです。
特に地下鉄御堂筋線は、昭和8年の梅田〜心斎橋間開通当初から将来を見越して大型の電車が10両編成で運転できることを見越して建設されており、85年後の現在に至るまで基本構造に手を加えることもなく使われています。
その上を通る御堂筋は幅24mの大通りとして整備され電線類は地中に埋設された綺麗な直線道路として有事には滑走路としての使用も考慮されていました。
2003年から2007年に大阪市長を務めた關淳一市長はお孫さんにあたります。
アルバム: ◎お)大阪・中之島
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コメント (7)
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御堂筋も地下鉄も当時としては常識はずれのスケールだったのでしょうね。先見の明のある人が周囲の反対を押し切って思い切ってする・・というようなことは良くも悪くも現代では出来ないでしょうね・・
2018年5月17日 13:12 kame (11)
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toraさん
☆ありがとうございます。2018年5月19日 06:13 キューチャン (36)
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kameさん
☆とコメントありがとうございます。
今は一般市民にも情報や知識が得やすいしずっと口出しもしやすい環境なので、特に公共事業は強引には進めにくいですね。
当時でも徐々に土木機械は普及してきてたそうですが、失業対策を狙って、敢えてスコップやツルハシや一輪車を使った手掘り工事が多く採用して大量の雇用を生み出したそうです。
政策的にも公共工事のありかたをうまく利用して支持を得やすくしていたようですね。
ルーズベルト大統領が大恐慌対策で進めた「ニューディール政策」より時期的には少し前みたいな感じなので、進んだやり口を実践してたと思われます。2018年5月19日 06:54 キューチャン (36)
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ふみさん
☆ありがとうございます。2018年5月19日 06:55 キューチャン (36)
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みなみたっちさん
☆ありがとうございます。2018年5月19日 06:55 キューチャン (36)
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写素人さん
☆ありがとうございます。2018年5月19日 06:56 キューチャン (36)
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中古マニアふさん
☆ありがとうございます。2019年2月16日 00:24 キューチャン (36)
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